安藤優子さん 特別インタビュー【第8回】

フジテレビ問題を安藤はどう感じたのか。若い人たちに向けて伝えたいこと




地方から女性が去って行き、企業では女性の登用が進まない現実。その根本にある、女性たちを縛る認識を払しょくするにはどうしたらいいのか。安藤優子さんはそのカギを「ジェンダーの問題を女性の問題としてとらえるのではなく、男性にこそ当事者だと思ってほしい」と語る。さらに、長年働いてきたフジテレビで起きた問題についても語った。


――しかし、職場や生活の中で、いわゆる「おじさん」に、分かってもらうのは至難の業です。事実、もう何を言っても響かない、どうせ理解してもらえないと、あきらめている女性も多いのではないかと思います。

でも、言い続けていかないと、もっとダメだと思うんだよね。私がいつも話すのは、ジェンダーの問題を「女性の問題なんだから、女性が解決しなさいよ」っていうのはおかしいですよ、ということです。

――どういうことでしょうか。

女性を縛っている「女性らしさ」の裏側には、もれなく「男性らしさ」があるんです。そこは表裏一体なんです。女性らしさが人を縛っているなら、男性だって「男性らしさ」に縛られてきたはず。そこに気付いてもらいたいんです。


――なるほど。

「おじさん」たちは、女性が何か言うと「女がビービー、ギャーギャーうるせえな」と言います。そこに「違うわよ」って言ってください。女性が居心地悪かったら、男性だって居心地悪いはずなんですよ、本当は。女性の居場所がなくなるってことは、男性だって生きづらくなることです。私を縛っているものは、あなたのことを縛っている。これは私たちのためじゃなくて、あなたたちのために言ってるんですよって。私はあなた。あなたは私ですよ。

――言い方のコツみたいなものはありますか?

突き放すのではなく、「おじさんたちも、きっとつらかったよね?」って、互いにレスペクトすることでしょうね。彼らも男らしさに縛られてきたわけだから。そのうえで「いまからでも遅くないから、無償のケアを担ってほしいんだよね」って。そういう、ある種いたわりの気持ちを持ちつつ(笑)。あきらめないで、おじさんたちに言っていかないとダメだと思う。



安藤さんが、長年キャスターとしてニュースを伝え続けてきたフジテレビでは、元タレント・中居正広氏の、女性アナウンサーとのトラブルに端を発する、一連の問題が起きた。安藤さんはどう見たのだろうか。


――フジテレビでは、非常に大きな問題が起きました。安藤さんはどう見ていましたか?

性別役割分業の最たるもの、最もおぞましいところが出たと思います。第三者委員会の報告書を経て、フジテレビでは女性アナウンサーが「従属的な立場に置かれていた」と結論付けました。私の研究のコアはまさに「女性が男性に従属してきた社会」です。私がかつて「アシスタント」と呼ばれたのと同じように、プロデューサーや男性出演者が「主」なら、女性アナウンサーは「従」の立場にあった。そういう縦型の力関係が浮かび上がったと思います。報告書に書いてあったことの中から、ひとつ例を挙げると、バーベキューパーティーの時の話ね。呼ばれた女性が何をしたらいいか聞いたら「皿でも洗ってればいい」って言われたっていう話。


報告書によると、2023年5月、中居氏のマンションでバーベキューの会が行われ、中居氏からの依頼を受けたプロデューサー・B氏が、女性アナウンサーや女性スタッフを集めた。会が始まる前、女性スタッフから「どのように振舞えばよいか」尋ねられたB氏は「皿洗いなどして働くように」と、返答。会が始まると、男性タレントらとの会話を盛り上げる一方で、女性スタッフにはお酒や食事の配膳、片づけを指示したという。


まさに、これですよ。まるで地方都市の選挙ですよ。男の人たちが選挙戦をやっているとき、女の人には、お前らは炊き出しだと。おむすび握ってろと。それと同じわけですよ。性別役割分業の最たるもの。そういうの、無意識でやるわけじゃないですか。無償のケアを女性に押し付けるのを当たり前だと思い込んできた、おじさんたちの典型的な姿ですよ。


また、報告書では、性別・年齢・容姿に着目した会合が人権侵害を助長したと指摘された。その後に制作されたフジテレビの検証番組によると、入社式で女性社員が容姿によって選別され、選ばれた人たちが港浩一前社長を囲む会に呼ばれていたという。


フジテレビのだけでなくテレビメディアには「かわいい」とか「若い」っていうことへの偏重主義が、確かにあると思います。彼らはね、女性に対して「かわいく」と思ってるのよ。いやむしろ「かわいいだけでいい」と思ってるの。でも、彼女たちは、ものすごい能力を認められてフジテレビに入ってるわけでしょう? それなのに突然容姿重視で“ナントカパン“とか呼ばれて、そりゃ屈辱を味わった人はたくさんいると思います。


――確かにそうですね。

一方の私は、その「かわいい」「若い」の中にはカテゴライズされなかったんですよ。生意気、怖いって言われていたから。イノシシのように仕事するし、言いたいこと言うし。お酒をつがされることもなかったし、むしろついでもらった(笑)。何の差別もなく、戦場にも取材に行かせてもらったし、好きなようにやらせてもらった。だから今回、タレントとスイートルームで飲んで、アナウンサー呼んで、38万円も経費で申請するなんて、そういうことが行われていること自体に、本当にびっくりしました。


――そうだったんですね。

私は、今回フジテレビで起きたことを、第三者委員会が「人権問題である」と言ったことが、すごく意味があることだと思っているんです。私が研究してきた「イエ中心主義の女性認識」は、人権の問題でもあるから。「女性をひとりの人間として認識してほしい」っていうことを、私は言いたいんですよ。


イエ中心主義による人権軽視の問題は、いま議論されている様々なことがらともつながっていると言う。


選択的夫婦別姓の問題もそうだよね。これは女性が男性に「従属する」のではなく、女性を個人として評価する社会認識への転換につながる、重要な政策だと思います。しかも、あくまでも「選択制」ですよ? 全員にそうしてくれなんて、誰も言ってない。どんな社会認識を選択するかは、女性自身が決めればいいことです。国連からも「これは差別だ」と、何度も勧告を受けています。それを法案が出されたのが30年も前なのに、いまだに「引き続き熟議を重ねる」なんて言っている。いつまで熟議するんですかと

――どうしてこんなに進まないのでしょうか?

表向きは「多様性を重んじよう」とか「誰もが生きやすい社会」などと言いながら、いざとなると「イエが壊れる」とか「社会が壊れる」などと言うんですよ。でも本当は逆ですよね。ひとりの人間が個として尊重されれば、家庭だってうまくいくはずです。裏を返せば、女性は「母」や「妻」になってこそ一人前という考え方もおかしい。そうならないと社会保障につながれないなんてどうかしてますよ。

――ほかに、イエ中心主義はどんな弊害をもたらしていますか。

同性婚についても同じことが言えると思います。人権とは、男性でも女性でも性的少数者でもどんな生き方をしていても、その人が個人として認められる、誰もが自分らしくいられる権利のはずです。同性婚を求めている人は、それを尊重してほしいと言っているだけです。誰のことも傷つけていない。それなのに、日本型福祉社会的にいうと「いき過ぎた個人主義」という話になる。個人を尊重するというとても大切なことを、まるでワガママを言っているかのようにすり替える。全然違いますよね?

――これから社会人になる若い人たちに向けて、どんなことを伝えたいですか?

一番言いたいのは「自分の頭で考えることをやめないでほしい」ということです。私がいま危惧しているのは「バックラッシュ」です。トランプ政権もそうだし、そういう潮流が、日本にも影響してきているじゃないですか。


「バックラッシュ」は、「反動」や「揺り戻し」の意味。人種やジェンダーなど、社会的弱者に対する平等や、地位向上を推し進める動きに対して反感を持ったり、反発したりする動きを指す。


平等や多様性、包括的な社会を目指して進んでも、結局はそういう逆行する動きが出てくるんです。例えばトランプ氏の「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」とか、「男は強い、女は弱い、男と女以外の性別は存在しない」っていう考え方。そういう考え方って、シンプルだから楽なんですよ。頭使わないで済むから。でもそれってつまり、「思考停止」だと思うんですよね。

――「思考停止」ですか。

平等とは何か。本当の多様性ってどんなことか。考え始めると、確かにすごく難しくて、ややこしい。でも、面倒でも考えることが人間の進歩じゃないですか。考えるのをやめたら、私たち、何のために生きてるか分からない。ただご飯食べてお金使って、おいしいもの食べて、それだけやって生きていくんですかって。

――もしかすると、それでいいという人が増えているのかもしれません。

日本は、ただでさえ同調圧力が強いんです。周りに合わせておこう。目立たず埋没しておこう。それは楽だけど、それもやっぱり思考停止。考えるのをやめると、楽な方に流れる。楽な方に流れたら、自分で考えずに、「いいね」を押すか、人を中傷するかどっちかですよ。その結果が、誰かを排除したり、誰かの生きづらさを生んでいるんです。


最後に、これからの社会に望むことを語ってもらった。


私が望むのは、男性でも女性でも、どんな立場の人であっても、個人が個人として評価され、リスペクトされる社会になっていくことです。みんなが気持ちよく生きていくこと以上に、大事なことってありますか? 「女性らしく」「男性らしく」ではなく、誰もが「自分らしく」生きられるといいと思っています。



(おわり)